1948年、私が高校3年の時、衝撃的なニュースが世界を走った。それは広島県瀬戸村に住む「本田実」氏が、世界最初に新彗星を発見し「ホンダ」の名が宇宙に輝いた、というニュースであった。本田氏は、その頃一復員兵であった。戦前から愛用していた、天体望遠鏡を使って、うみへび座に8等級の新彗星を発見したものであった。
当時の日本は戦後のGHQの支配下にあった。新天体を発見して、外国に電報で知らせるにもGHQ(占領軍総司令部)の許可が要るという情けない状態であった。しかしこのようなハンデイを背負いながら、誕生した”日本の星”とはどんなものだろう? 一度見てみたいものだ。と思って天体望遠鏡を構えようとしたが、恐ろしく高価なもので、全く見込みが立たなかった。
「そうだ!自作しよう」と思ったが、組み立てキットのような気の利いたものは売っていない。そこで古い老眼鏡のレンズと虫眼鏡を使った即席の天体望遠鏡の設計図を引いたのである。写真は当時私が初めて製作した天体望遠鏡の完成図である。果たして、このお粗末な望遠鏡で「本田彗星」は見えたであろうか?
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当時の日本は戦後のGHQの支配下にあった。新天体を発見して、外国に電報で知らせるにもGHQ(占領軍総司令部)の許可が要るという情けない状態であった。しかしこのようなハンデイを背負いながら、誕生した”日本の星”とはどんなものだろう? 一度見てみたいものだ。と思って天体望遠鏡を構えようとしたが、恐ろしく高価なもので、全く見込みが立たなかった。
「そうだ!自作しよう」と思ったが、組み立てキットのような気の利いたものは売っていない。そこで古い老眼鏡のレンズと虫眼鏡を使った即席の天体望遠鏡の設計図を引いたのである。写真は当時私が初めて製作した天体望遠鏡の完成図である。果たして、このお粗末な望遠鏡で「本田彗星」は見えたであろうか?
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