高知県佐川町の石灰岩採掘の現場では、作業員5人くらいが集まってギターの練習に熱中しました。練習はお昼休みで、そのために私が指導に通いました。一年先には工場で演奏会を開くと意気込んでいました。

 ギタークラブの主任は山崎建臣(たてとみ)さんと言って、中年の体の頑丈なかたでした。なんでも戦時中には戦車兵として、有名な南郷少佐の率いる戦車隊に属し、大陸で活躍した方だそうです。本人は寡黙な方で、余り語らなかったのですが、この方の父上が有名な故、山崎正光さんであることを知った時には驚きました。

 1986年、ハレー彗星が接近した時、近くの虚空蔵山に佐川町立の天文台(山崎記念天文台)が建設され、長男の建臣さんが台長として活動しました。ハレー彗星接近のころには全国からも多くの参観者が参加して栄えました。しかし明けて1987年の2月、思いがけない事件がおこりました。観測会があっての帰り、台長の姿が消えたのです。

 天文台のある高い山は、氷点下5度に冷え込んでいました。山を降りてこなかったことに不審を抱いた関係者が捜索したところ、翌日、天文台近くの谷に転落しているのが発見されました。この不幸な出来事を堺として、天文台は衰退の一途をたどることとなります。

(写真は1986年頃、芸西の60cm反射望遠鏡で撮影した、子ぎつね座の”あれいじょう星雲”。7等級で明るい)

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