今は絶対に入手できない本二冊です。
日本で最初に反射望遠鏡の研磨を始めた中村要氏と山崎正光氏の書いた貴重な資料です。どちらが先に手掛けたかは判然としません。中村氏は京都大学の花山天文台を舞台に活躍、日本での天体写真のパイオニアです。左が中村氏の「天体写真術」、右が山崎氏の「天体望遠鏡の製作」です。
山崎さんは、アメリカのカリフォルニア大学在学中に1910年のハレー彗星をむかえ、それを観測する目的で20cmの反射鏡を研磨しました。そして帰国してから水沢緯度観測所に勤務の傍ら、1928年に自作のコメットシーカーで、彗星(クロムメリン彗星)を発見しました。
中村氏にも、自作の天体カメラで発見した、幻の彗星があります。大変優れた天体写真の技術を持っていましたが、彼の作品はほとんど残っていません。彼と親交のあった香川県の仲順三郎氏によると、彼は若くして自ら死を選んだそうです。
CCDカメラが全盛となった今、好んで昔の銀塩撮影をやる人は居ませんが、キャビネのガラス乾板を使用して一回に対角線で15度もの広い星野を撮影出来たことは、大いに魅力があります。カメラの口径は15cm。彼はそれによって、多くの変光星の発見や、突然の火球の撮影に成功しました。昭和の初め頃、すばるのそばに発見した彗星は、”幻の中村彗星”となっています。10日間追跡し、彼自身の軌道計算が残されています。


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日本で最初に反射望遠鏡の研磨を始めた中村要氏と山崎正光氏の書いた貴重な資料です。どちらが先に手掛けたかは判然としません。中村氏は京都大学の花山天文台を舞台に活躍、日本での天体写真のパイオニアです。左が中村氏の「天体写真術」、右が山崎氏の「天体望遠鏡の製作」です。
山崎さんは、アメリカのカリフォルニア大学在学中に1910年のハレー彗星をむかえ、それを観測する目的で20cmの反射鏡を研磨しました。そして帰国してから水沢緯度観測所に勤務の傍ら、1928年に自作のコメットシーカーで、彗星(クロムメリン彗星)を発見しました。
中村氏にも、自作の天体カメラで発見した、幻の彗星があります。大変優れた天体写真の技術を持っていましたが、彼の作品はほとんど残っていません。彼と親交のあった香川県の仲順三郎氏によると、彼は若くして自ら死を選んだそうです。
CCDカメラが全盛となった今、好んで昔の銀塩撮影をやる人は居ませんが、キャビネのガラス乾板を使用して一回に対角線で15度もの広い星野を撮影出来たことは、大いに魅力があります。カメラの口径は15cm。彼はそれによって、多くの変光星の発見や、突然の火球の撮影に成功しました。昭和の初め頃、すばるのそばに発見した彗星は、”幻の中村彗星”となっています。10日間追跡し、彼自身の軌道計算が残されています。


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