写真は年末の一日に見た、高知市上空での”さば雲”です。この光景を目にしたとき、彗星の捜索中に突然飛び込んできた”流星痕”の 姿を思い起こしました。望遠鏡で流星を観測することは不可能です。しかし、長いこと彗星の捜索で夜空をパトロールするとき、肉眼では見えないような沢山の流星を目撃し、記録し、そして壮大な流星痕に出会えたのです。これはコメットハンターのみぞ知る、貴重な記録だったかも知れません。
私が、最初に手製の望遠鏡(老眼鏡と虫眼鏡のセット)で観測を開始したのは今から遠く1948年の大晦日でした。ラジオでは盛んに年末の歌謡番組をやっていました。当時はラジオの時代で、今のような騒がしい見る番組ではなく、往年の名曲をじっくりと聞く、良い番組でしたが、その後30年以上に渉って、私は大晦日の歌謡番組は見たことがありません。歌う背景で、若者が常に踊っているような騒々しい番組はきらいなのです。夜空が晴れていたら、決まって星を観測しながら年を越します。曇っていたらバッハのクラシック音楽でも聞きながら、除夜の鐘を待ちます。
天文台が芸西村に移ってから、いろんな年末の日がありました。1975年頃だったでしょうか、芸西天文台と北の国立天文台(電波望遠鏡)とでNHKの二元放送をやった事がありました。この時初めて国立天文台の宮地竹史氏と話をしました。千歳基地では今年最後の訓練飛行に向かって自衛隊機が飛び立つ様子が放送されました。ブエノスアイレスから冒険家の植村さんが、船で南極大陸に向かって出港しました。同じとき、芸西では、コメットシーカーを操って、最後の観測に向かう様子が放送されました。いずれの場合も、仕事の最中に、新年を迎えるというのがいいですね。


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私が、最初に手製の望遠鏡(老眼鏡と虫眼鏡のセット)で観測を開始したのは今から遠く1948年の大晦日でした。ラジオでは盛んに年末の歌謡番組をやっていました。当時はラジオの時代で、今のような騒がしい見る番組ではなく、往年の名曲をじっくりと聞く、良い番組でしたが、その後30年以上に渉って、私は大晦日の歌謡番組は見たことがありません。歌う背景で、若者が常に踊っているような騒々しい番組はきらいなのです。夜空が晴れていたら、決まって星を観測しながら年を越します。曇っていたらバッハのクラシック音楽でも聞きながら、除夜の鐘を待ちます。
天文台が芸西村に移ってから、いろんな年末の日がありました。1975年頃だったでしょうか、芸西天文台と北の国立天文台(電波望遠鏡)とでNHKの二元放送をやった事がありました。この時初めて国立天文台の宮地竹史氏と話をしました。千歳基地では今年最後の訓練飛行に向かって自衛隊機が飛び立つ様子が放送されました。ブエノスアイレスから冒険家の植村さんが、船で南極大陸に向かって出港しました。同じとき、芸西では、コメットシーカーを操って、最後の観測に向かう様子が放送されました。いずれの場合も、仕事の最中に、新年を迎えるというのがいいですね。


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