1985年、SSさん自作の潜水艇”荒天号”は多くの人に見送られて、日本一周の旅に出発した。もともと天文の好きだった船長は、翌年やって来たハレー彗星に興味を示さない筈はなかった。ハレー彗星が見えてきたら、どこかの夜空の暗い海で観測したい、と漏らしていた。
しかし出港してから、間もなく消息を絶った。それから20年の歳月が流れたある日、ふと高知市桂浜に出来た「竜馬記念館」が見たくなって訪れた。坂本竜馬が生まれた1835年11月には、有名なハレー彗星が太陽に接近し、世間では騒ぎ、かなりの話題になったはずであるが、それに関する資料は一切なかった。竜馬の母「幸」が見た空飛ぶ龍と馬の夢というのは果してハレー彗星が原因だったろうか?と思う。
ともあれ、1929年に桂浜に龍馬の銅像が出来てから、1986年に初めて龍馬はハレー彗星を頭上に迎えることになる。ハレー彗星は「竜馬」の名付け親であったかもしれない。そんなことに思いを馳せながら記念館を出ると、広い駐車場の片隅に船が、でんと座っている。「ハッ」とした。もしや荒天号ではないか?と思って近づいてみると、確かに潜水艦の「荒天号」である。潜水艇は海ではなく陸にいたのである。しかも天下の桂浜に。
しかし船の傍らにある看板には船長のSS氏は1996年に死去したことが書いてある。そして彼の発明は多くの若者に夢と希望を与えた、とある。果たして”宝島”は、発見できたであろうか?遠くに太平洋を望む龍馬の銅像が見える。常に時代の先端を走った龍馬と発明家のSS氏。そこには時代を越えて、なにか共通した思想があるように思えてならなかった。
今日も、桂浜の海は限りなく碧く輝いていた。
(写真、上は陸に上がった潜水艦の”荒天号”と、下は竜馬の銅像の上に輝くホウキ星。いずれも筆者撮影)



にほんブログ村
しかし出港してから、間もなく消息を絶った。それから20年の歳月が流れたある日、ふと高知市桂浜に出来た「竜馬記念館」が見たくなって訪れた。坂本竜馬が生まれた1835年11月には、有名なハレー彗星が太陽に接近し、世間では騒ぎ、かなりの話題になったはずであるが、それに関する資料は一切なかった。竜馬の母「幸」が見た空飛ぶ龍と馬の夢というのは果してハレー彗星が原因だったろうか?と思う。
ともあれ、1929年に桂浜に龍馬の銅像が出来てから、1986年に初めて龍馬はハレー彗星を頭上に迎えることになる。ハレー彗星は「竜馬」の名付け親であったかもしれない。そんなことに思いを馳せながら記念館を出ると、広い駐車場の片隅に船が、でんと座っている。「ハッ」とした。もしや荒天号ではないか?と思って近づいてみると、確かに潜水艦の「荒天号」である。潜水艇は海ではなく陸にいたのである。しかも天下の桂浜に。
しかし船の傍らにある看板には船長のSS氏は1996年に死去したことが書いてある。そして彼の発明は多くの若者に夢と希望を与えた、とある。果たして”宝島”は、発見できたであろうか?遠くに太平洋を望む龍馬の銅像が見える。常に時代の先端を走った龍馬と発明家のSS氏。そこには時代を越えて、なにか共通した思想があるように思えてならなかった。
今日も、桂浜の海は限りなく碧く輝いていた。
(写真、上は陸に上がった潜水艦の”荒天号”と、下は竜馬の銅像の上に輝くホウキ星。いずれも筆者撮影)


にほんブログ村
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。