永かった冬ともようやくおさらばし、これから本格的な春が訪れようとする雨の日の午後、一人の訪問者がありました。その人は松本勉さんという福井県の青年?で、自分の名前の由来である”関勉”に会いに来たと言います。因みにこの方の姉は、”興子”と言って、私の妻の名前を付けたものです。

 もう数十年も昔になりますが、越前市に松本敏一さんという熱心なコメットハンターがいました。1960年代の私の彗星発見に憧れて、彗星の捜索を始めました。晴れた夜は深夜の列車の通らなくなった鉄道線路の枕木の上に、口径15cmの反射望遠鏡をすえて、熱心に捜索しました。その頃、夜空には”イケヤ・セキ彗星”が輝き、続いて「マツモト彗星」を発見する事が彼の大きな夢でした。しかし病気や多くの不運も手伝って、容易に成果が挙がりませんでした。

 その後結婚した彼は、新婚旅行に、憧れていた私の住む高知県を選びました。やがて生まれた長男に「勉」と名づけ、そして長女に「おきこ」と付けたそうで、一介の天文家だった私が、如何に尊敬され、そして人生の目標にされていたかがわかります。その長男の「勉」さんが、自分の名前の名付け親となった私に会いたい、という事でわざわざ訪ねてきたのです。

 父の敏一さんは、その後の天体観測で多くの貢献をしましたが、遂に自分の名の付く彗星の発見に至りませんでした。その代償として、私を敬愛して下さった彼に、私が芸西天文台で発見した小惑星に「松本敏」と命名し、彼にプレゼントしました。彼の小惑星は、スミソニアン天文台の小惑星命名センターで(11321番)として登録され、今も宇宙の中に在って輝き続けています。
 その命名の陰には、こうした美しいエピソードがあったことは誰も知らないでしょう。

(写真は幽かな尾を引く彗星。小惑星は何度も帰還するが、彗星は一度きりで帰らないものが多い。芸西天文台の70cm鏡でSeki撮影)

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