私の観測所が高知市の上町にあったころの1951年、「クレサク彗星」というのが東京天文台から全国に発信されました。当時のチエコ スロヴァキアの「スカルナテプレソ天文台」の、クレサク博士が眼視的に発見した10等級の彗星で、間もなくそれが1858年に発見された第二タトル彗星の再来であることが判明しました。
 名前は「タトル・ジャコビニ・クレサク彗星」となったのですが、1973年に回帰した時、予報が10等より相当暗い時に、肉眼的な明るい彗星となって人々を驚かせました。大きなバーストが起こったのです。この時スカルナテプレソ天文台のセカニナ博士やクレサク博士らは、「この彗星は2度にわたる爆発によってエネルギーの大半を失ったので消えたであろう」というような悲観的な意見をのべました。

 1978年に発表されたスミソニアンのマースデン博士の位置予報では、それを意識してか、20等級の大変暗い核光度の位置予報を発表したのです。まだCCD観測の十分実用化されていなかった当時としては、20等を観測することは至難の業でした。おまけに彗星のそばに明けの明星(金星)が煌々と輝き、とても暗い彗星が観測できるものではありません。

 世界中の多くの天文台が諦めた中、ただ一人彗星に向かって照準を合わせている天文台がありました。それは芸西です。困難と思いながらも千に一つの可能性を求めて、完成したばかりの、手製の口径40cmの反射望遠鏡を向けていたのです。そして煌々と輝く金星のそばに、朦朧と光る謎の光芒をキャッチしたのです。

 彗星は驚くべきことに、過去の大爆発によって全くエネルギーを失っていなかったのです。爆発する前の、予想どうりの明るさで堂々と姿を現したのです。世界中の観測の極めて少ない中、芸西はそれを立証することに成功しました。40cm鏡は、小島信久氏の磨いた反射鏡ですが名鏡です。このころ「本田・ムルコス・パ彗星」も検出しました。そうです、彗星というものは、大きなバーストを起こしても、簡単に消滅する物ではありません。この40cm鏡は、いずれドブソニアンにマウントされて、一般の観測会に利用されることが検討されています

 (写真は芸西で検出当初の同彗星と、今は引退した40cmの鏡筒です。この後60cmの反射望遠鏡が完成し、沢山の小惑星を発見する事となります。)

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