前にも一度お話しましたが、このツアイス製の奇妙な彗星捜索鏡を使って発見したのは、東京天文台の下保茂技官でした。1936年7月、彼は天文台の構内で変光星を観測中に、突然明るい彗星が視野の中に入ってきました。しかし発見者が複数で「下保・コジック・リス彗星」と命名されました。偶然の発見で、当時の日本天文学会では表彰の制度が無く、祝意が手紙でつたえられた、とご本人が語っていました。

 しかしその後はあまり活用されなかったようで、1963年頃には解体されて、鏡筒のみ、人工衛星観測用のベーカーナンシュミットカメラのファインダーとして、流用されていました。日本を代表する倉敷の本田実さんも、この望遠鏡は覗いたことがなかったそうですが、この珍しい機構にヒントを得て、観測台の床全体がモーターで回転する新機軸のコメットシーカーを考案されました。

 その望遠鏡での初めての成果が、1955年7月の「本田彗星C/2955 O1」で、やや地球に接近して、最大5.5等級と明るくなりました。この年の8月に京都の花山天文台で「彗星流星会議」が開かれ、発見の状況を本田さんから詳しく聞くことができました。

 しかし、コメットシーカーは便利になっても、必ずしも成果に繋がるものではなく、建物や屋根は無くても、小さな経緯台を野外に持ち出して多くの成果を挙げた人が外国に多くいます。フランスのメシエやポンです。ポンはパリの天文台の門番をやっていました。冬は氷点下の寒さに震えながら野外で観測する仕事は、やはり若い時代のものでしょうか。

 倉敷の本田さんは、その後、天の川の中での新星の発見に集中されましたが、添付した写真はその頃の倉敷市の「若竹保育園」の園長室で私が撮影したものです。突然訪問した時、本田さんは撮影した「天の川」のフイルムを、顕微鏡で観察して、新星を捜索して居られました。

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