私の一番最初に自作して天体望遠鏡は、シーソータイプと呼ばれる奇妙な形をした反射望遠鏡でした。遊園地で見かける、子供が乗って遊ぶ道具からヒントを得て製作したものです。後の四角いボックスの中には、口径10cmの反射鏡が入っています。そして前のボックスには、反射鏡から来た光線を受けて、直角に(90°)鏡筒外にはじきだす斜鏡が入っています。適当な接眼レンズを、鏡筒の外に置くことによって最低25倍から100倍までの倍率を使うことができたのです。

 彗星の発見には有効最低倍率を使用します。それによって適当な広い明るい視界が得られるのです。高校3年生の夏休みにアルバイトしてためた資金で、京都のあるメーカーから10cmの反射鏡を買い求めました。半年以上も待ってやっと来た鏡面は薄っぺらな粗悪品でした。大量生産の関係で理想的なパラボラ面になっておらず、ただの球面鏡でしたが、Fが10と暗いので、何とか助けられて使用に耐えました。

 この望遠鏡は、元製紙工場のあった場所の水タンクを利用して観測台を作り、1950年の8月から本格的な彗星の捜索に入りました。当時は町の空が暗かったので良く見えました。毎日3時間ほど捜索しながら、多くの星雲や星団を捉え、既に出現している彗星も観測して、微弱な光度の天体を発見する事に馴れました。発見の為には、そうした準備が大切なのです。

 1950年にはパロマー山で発見されたミンコフスキー彗星を、そして1952年にはオハイオ州で発見されたペルチャー彗星を日本で最初に観測して、東亜天文学会の山本一清博士に褒められました。望遠鏡はその後本田実氏の勧めによって口径15cmとなり、幻の”関彗星”発見への夢を膨らませて行く事となったのです。

(写真上:シーソー型の変わった形の反射望遠鏡。下は田上天文台での山本一清博士と、望遠鏡を眺める本田実氏。1954年8月)

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