彗星を見つけ出す最高の望遠鏡は口径10cm内外の双眼鏡と位置付けられていました。しかし、私が始めた1950年代には、高価なことで、あまり口径の大きな双眼望遠鏡は買えませんでした。せいぜいで50mm15倍程度の卓上型の製品を買って捜索の真似ごとをやったものです。

 日本で最初に本格的な双眼鏡を使って彗星を発見したのは、1950年代の本田実さんでした。本田さんはコーワ製の10cm双眼望遠鏡(観光用)を使用して、初めて1953年の「ムルコス・本田彗星」を発見されました。

 一方私は双眼望遠鏡に憧れたものの、なかなか買えず、1965年の「池谷・関彗星」を発見したあと、ようやく口径12cm、20倍のニコンの捕鯨用の防水双眼望遠鏡を入手しました。3度の広視野を持つ双眼鏡は実に明快な視界で、これで初めて1967年に11等級の新彗星をヘルクレス座に発見しました。従来の9cmのコメットシーカーでは到底届かなかった微光の彗星でした。

 戦時中、日本光学が作って露満国境に据えられていた口径25cm(100x)の双眼鏡は物凄いものでした。当時従軍して国境の警備に当たっていた本田上等兵は、これで敵の陣地よりも、大陸の素晴らしい星空を観察していた、と言います。敵国の空で彗星を発見する事を考えていたのです。やがて太平洋戦争が南で激しくなってから、本田さんの部隊がマレー半島に移ってからも、その願いは捨てきれず、遂に南十字星の輝く下で、その夢は達成されることになります。

 本田上等兵のシンガポールでの彗星発見のニュースは、戦中といえども「天文学には国境はない」という事で世界に広がって行きました。国内ではこのニュースが、戦場でも科学する日本兵の誇りとして、当時の「読売新聞」で大きく報道されました。

(写真は15センチ25倍の双眼望遠鏡で彗星を捜索する最近の筆者)
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