ただならぬ物音におどろき、暗室から外に飛び出したものの、景色がまぶしくて暫くはなにも見えなかった。観測台のすぐ横の蔵の屋根では、もうもうと土煙が立ち上り、人がさわいでいる。二人のカメラマンが観測風景を撮影中に、突然瓦が崩れて屋根が抜けたという。まるで落とし穴の様に、畳一畳ほどの大穴が開いて二人は消えた。

 家は、大正年代に建てた古いもので、老朽が進んでいた。それで大人二人の重量に耐えられなくなって、突然崩れたのだ。一人は読売新聞社の記者で、もう一人はRKCのテレビカメラマンであった。幸い二人は軽傷で済んだが、カメラは大破した。記者はその後も事ある度にやってきたが「あの時は大変だったね」と言うのが、お互いの合言葉であった。

 さて、当日は奇妙な”池式投影ボックス”がマスコミの質問攻めに合い、実際に観測を始めたのは、午後の1時であった。そして30分後には、近日点を通過しつつあった彗星の頭部は、太陽面のあちら側に隠れたことになる。従って、池氏の見た赤い光芒は、彗星の尾の一部であった可能性が高かった。それにしても、太陽接近中の数日間は、池氏は高い山に登ったり、あるいは海岸を走ったりして、出来るだけ空の良い条件で彗星を見張った。そして危険な太陽のそばに健在な彗星の姿を確認していた。

 「イケヤ・セキ彗星」大接近の10月21日には、早朝のNHKの番組で、上野の科学博物館と池谷氏の居る静岡放送局と、そして高知放送局を繋ぐ三元放送をやった。テレビ放送が始まる10分前に池幸一氏は、山で彗星の太陽面通過前の姿を確認し、高知放送局に電話してきた。近日点通過寸前の彗星が健在なことが、放送で全国に流れた。

 浜松の池谷さんは静岡放送局に泊まり込みだったようで、観測服の姿でテレビに登場した。朝早い番組であるから、その朝の彗星捜索の仕事が駄目になる。そんなことで、愛用の反射望遠鏡を放送局に持ち込んで、屋上で観測をやっていたのである。(たった一日位やすんでも、、、、)と思うかもしれないが、そうした人一倍の熱心さがあってこそ、成功につながっていくものなのである。

 この日、倉敷天文台でも本田さんが白昼の観測に成功し、彗星の明るさは満月の数十倍と発表した。また岐阜県の乗鞍岳コロナ観測所では、彗星が接近して、太陽の背面に消えるまで、沢山の写真を撮った。このブログの扉の写真がそれである。特殊なコロナグラフによる観測であるが、池さんの暗室望遠鏡も、この原理からヒントを得たものであったことは興味深い。

 ああ「イケヤ-セキ彗星」は無事旅立った。太陽系の果てまで旅して、再び帰って来るのは約1000年先の事である。太陽大接近によって三つ以上に分裂したと言われる彗星の核は、どの様な姿で再び我々の前に君臨するであろうか?彗星は一つなのか。それとも三つ以上の彗星が尾を引いてやって来るのか?興味深い。

(カメラマンがこけた位置から撮影したある日の観測風景である。向って左側が天文冒険家の池幸一さん)
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