芭蕉の詠んだ俳句の中に天体を歌ったものがただひとつある。
「荒海や 佐渡に横たう 天の河」である。
何時の時代か、芭蕉が新潟県の出雲崎に立って詠んだ句だそうである。これから夏の天の川の絶好の鑑賞の時期に入るが、昔は電燈もなく空は暗く、日本海の上に輝く銀川は、特別の美しさがあったものと想像される。
10年余り昔になるが、新潟市で星の会があった時、私は出雲崎の海岸に立ってみた。遥かに西の日本海に佐渡が髣髴として浮かんでいる。天の川を芭蕉が見たのは、7月から9月にかけての夕方であったはずであるが、このころには、天の川は西の佐渡ヶ島の方向には無く、東南の後ろ側にみえたはずである。しかし「佐渡」が出ないと句にならないので、芭蕉も矛盾する事を知りながら、この名句を読んだろうとおかしくなった。
海岸に近い小さな公園に、ここにも北原白秋の名詩が刻まれていた。
海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめ鳴けなけ もう日が暮れた
みんな呼べよべ お星さまでたぞ
この碑の前に立った時、戦時中の大陸に消えた小学校の恩師の姿が浮かんだのである。それは、小学四年生だった私の重大な出来事であった。
(写真は芸西天文台の上に輝く天の川)


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「荒海や 佐渡に横たう 天の河」である。
何時の時代か、芭蕉が新潟県の出雲崎に立って詠んだ句だそうである。これから夏の天の川の絶好の鑑賞の時期に入るが、昔は電燈もなく空は暗く、日本海の上に輝く銀川は、特別の美しさがあったものと想像される。
10年余り昔になるが、新潟市で星の会があった時、私は出雲崎の海岸に立ってみた。遥かに西の日本海に佐渡が髣髴として浮かんでいる。天の川を芭蕉が見たのは、7月から9月にかけての夕方であったはずであるが、このころには、天の川は西の佐渡ヶ島の方向には無く、東南の後ろ側にみえたはずである。しかし「佐渡」が出ないと句にならないので、芭蕉も矛盾する事を知りながら、この名句を読んだろうとおかしくなった。
海岸に近い小さな公園に、ここにも北原白秋の名詩が刻まれていた。
海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめ鳴けなけ もう日が暮れた
みんな呼べよべ お星さまでたぞ
この碑の前に立った時、戦時中の大陸に消えた小学校の恩師の姿が浮かんだのである。それは、小学四年生だった私の重大な出来事であった。
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