芸西天文台が発見した小惑星に(21014)Daishi がある。ハレー彗星がやって来た後の1988年に命名したもので、私の母校の小学校である。校区に坂本竜馬の誕生地を持つ古い歴史の学校で、開校130年の歴史がある。
 私が通っていた昭和10年代には日中戦争が激しくなりつつあり、ドイツによる世界戦争も勃発して、正に風雲急を告げつつある緊迫した時代であった。やがて学校では軍国主義の教育が台頭し始め、先生と言えども徴兵に取られ始めていた。

 第四小学校のシンボルは、高い銀杏の木と、古い大きな講堂であった。演題の上には、有名な女流画家による龍馬の大きな肖像画が掲げられて、事ある度に校長はその下で学童たちに訓辞した。上田松実校長の時代であったが、祝日や祭日には教育勅語を恭しく読む校長の姿が今でも眼底に残っている。
 
 私が入学して1~2年生の時には若い女の先生であった。「勉強嫌いで学習の態度が悪い」と始終叱られた。たしか師範学校を出たばかしの見習いの先生であったが、幼い胸には、授業は面白くなく、学校は怖いところである、との印象を持った。放課後は良く説教で立たされて遅くなり母が迎えに来た。

 勉強もスポーツも出来ない。プールでの泳ぎも苦手で怠慢する。こんな劣等児の私を救ったのは、三年生になって他校から転任してきた岡本先生であった。岡本啓先生は自然科学が得意であった。書道や体育にも秀でていた。理科の時間には大自然のすばらしいお話をした。こうした教科書には書かれていない先生の貴重な体験が私を引きつけた。そこには勉強嫌いだった私が、いつの間にか先生のお話に瞠目し、夢中になっている自分自身の姿を発見するのであった。

 秋10月のある日。私たちは小さな巡行船に乗って桂浜に遠足に出かけた。生まれて初めて蒼茫たる太平洋の海原を見た。桂浜の竜宮城の大岩にぶつかって空中で高く炸裂するような豪快な水の光景を見た。帰って、宿題で書いた海の作文で、初めて先生から褒められた。岡本先生にかかってから、すべてが順調であった。学科も体育も面白くなった。しかしその幸せはいつまでも続かなかった。折角幸せを掴んだかに見えた私のそばに、いつの間にか運命の魔の手は忍び寄っていたのである。

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