星のゴーストは眼視でも、また写真でも現れて、古今の観測者をな悩ませてきましたが、このゴーストが本物だった、というお話です。
 1951年のこと、突然スロヴァキアのスカルナテ・プレソ天文台のクレサク博士が10等級の彗星を発見し、センターから電報で世界に知らされました。ところがこの彗星の身元を調べたところ1858年と1907年にタットルとジャコビニとがそれぞれ発見していた5年半の周期を持つ彗星であることが判明しました。したがって、改めて「タットル・ジャコビニ・クレサク彗星」と呼ばれるようになりました。

 ところが意外、1973年の回帰の時に大爆発を起こし肉眼的な明るい彗星として君臨したのです。学者たちは、この爆発によって、彗星はエネルギーの大半を失ったとして、次の1978年には、核だけのとても暗い彗星になっているのではないか?という事で悲観的でした。スミソニアン天文台のマースデン博士は大英天文協会の機関誌に19等という、当時としてはとてつもない暗い予報を発表しました。しかも位置は太陽に近い悪い条件です。事実、多くの天文台は探さなかったのです。彗星は衰弱して暗い光度を保ったまま、秘かに太陽を回って宇宙の彼方に消えて行くはずだったのです。

「おい!ちょっと待て」と、そこで登場したのが、芸西に出来たばかりの口径40cmの反射望遠鏡でした。朝方の5時、私は40cmの筒を彗星の予報の位置に向けました。ところがそこには何と明けの明星の金星が、マイナス4等の光輝で爛々と輝いているのです。これでは19等星の彗星は見える筈が在りません。諦めよう、と思ったのですが、これも面白い光景よ、と思って一発、2発と40センチ砲をぶっぱなしたのです。

 現像した写真には煌々と輝く金星のそばにモーローたる幽霊(ゴースト)が写っているのです。予期していたことです。翌日もまたその翌日も執念の写真観測を続けたのです。ところが、東亜天文学会の長谷川博士から「そのゴーストは本物の彗星ではないか!?」という声がかかりました。私は「ハッ」として、それらのゴーストをもう一回詳しく調べ始めました。意外なことにそれらのゴーストはタットル・ジャコビニ・クレサク彗星の位置とぴったりと一致しているのです!
 こうして、困難と思われていた同彗星の芸西での再発見が認められました。

(写真は高知市桂浜の龍馬の銅像の前に立つマースデン博士(中央)。左に長谷川一郎博士、右に筆者)
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