それは1947年、終戦直後の事で、世は正に暗澹とした時代だった。突然夜空に「ホンダ彗星」が輝いた。まだ至るところに戦争の傷跡が残るころで、国際的にも敗戦国家としての屈辱があった。日本はGHQ(占領軍総司令部)の支配下にあって、何事をするにもGHQの監視下に置かれていた。こんな時代に、世界に先駆け、新しい彗星を次々に発見して、強い日本人をアピールした本田実さんとは一体どんな人物だったのか?

 その頃、中学生だった私は天文学は一切わからなかった。しかし本田さんの世界的な活躍を目の当たりにしたとき、私は天文の道に入ることを決心した。そして本田さんに指導をお願いする手紙を書いた。本田さんから返信が来るか来ないか、これは私にとって重大だった。もし、返信がなかったら、私は失望して、諦めたに違いない。先輩からのたった一本の手紙が、その人の人生を大きく支配するのだ。それから数日後、本田さんから、激励の手紙を受け取った時の、あの感激は忘れない。

「彗星発見は努力すれば必ずできます。”関彗星”の発見に期待しています」

 その優しい激励の言葉があったからこそ、私はどんな窮地に立っても、生き抜いてこれたのだ。彗星発見のための努力が続けられたのだと思う。そして12年経ってから「セキ彗星」の発見を告げる電報が、本田さんの門を叩いたのだ。本田さんは我ことのように喜び祝意を送って下さった。

(写真は、1954年、私が初めて倉敷天文台を訪れて本田さんに会った時のものである。12cmの屈折望遠鏡で後輩を指導しながら、この場所で天体発見に務めた。)

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