1947年、発見後の本田彗星(C/1947 V1)は急速に南下して行った。北半球では、発見者の本田さん以外に観測した人はいなかった。しかし、ここで困った問題が発生した。GHQの支配下にあった日本の天文界では、本田さんの発見をすぐにセンターに発信できなかったのである。ぐずぐずしていると、発見を外国に持って行かれる危険性が多分にあった。当時の東京天文台は困惑した。「戦後初の大事な発見を、断じて無駄にしてはならない」。ここで台長が意外な行動に出た。なんとマスコミを利用したのである。
AP電に載った本田彗星発見のニュースは、世界中に流れた。これは、考え方によっては危険な行動であったが、幸いアメリカ、ロイッシュナー天文台のカニンガム博士の知る所となって、本田彗星は無事、国際天文学連合に登録されたのである。
しかし、ここでまたしても不思議な事件が起こった。発見は1947年11月中旬であったが、12月中旬の中国新聞は、次のような驚くべき記事を発表したのである。「本田彗星、南方の空で偉観を呈す」という見出しで、日本で発見された本田彗星は急速に南下し、明るい尾をなびかせて輝き”世の終りか?!”と多くの人を驚かせている」というニュースであった。
確かに途上国では”ほうき星”を忌み嫌った。災厄を運んで来る悪魔の星として恐れたのである。1965年10月”イケヤ・セキ彗星”が出現した時、ネパールでは国王も参加して、大規模な”厄除け祭”を実施したことが当時のNHK-TVで報道された。ところが本田彗星が南下して大彗星になったというのは、実は”南の大彗星”と言う別の彗星(C/1947 X1)の飛び入りがあって、それと間違われていたことが後で判明したのである。この大彗星は日本でも、夕方の西南の空に見た人がいた。
こうして、ホウキ星は悪者扱いにされることが多いが、中には幸運もある。昔、漁師の中浜万次郎が、南の孤島に漂流して孤独な生活を送っていた時、アメリカの捕鯨船「ジョン・ホーランド号」がやってきて彼を救った。それを祝福するかのように、明るいほうき星が長い尾を引いて輝いたという。また1965年の「イケヤ・セキ彗星」の出現は、世界中で星を愛する多くの人たちとの、友情をはぐくんだのである。
(写真は上が”大彗星現る"の古図。下が大彗星と地球の衝突)



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AP電に載った本田彗星発見のニュースは、世界中に流れた。これは、考え方によっては危険な行動であったが、幸いアメリカ、ロイッシュナー天文台のカニンガム博士の知る所となって、本田彗星は無事、国際天文学連合に登録されたのである。
しかし、ここでまたしても不思議な事件が起こった。発見は1947年11月中旬であったが、12月中旬の中国新聞は、次のような驚くべき記事を発表したのである。「本田彗星、南方の空で偉観を呈す」という見出しで、日本で発見された本田彗星は急速に南下し、明るい尾をなびかせて輝き”世の終りか?!”と多くの人を驚かせている」というニュースであった。
確かに途上国では”ほうき星”を忌み嫌った。災厄を運んで来る悪魔の星として恐れたのである。1965年10月”イケヤ・セキ彗星”が出現した時、ネパールでは国王も参加して、大規模な”厄除け祭”を実施したことが当時のNHK-TVで報道された。ところが本田彗星が南下して大彗星になったというのは、実は”南の大彗星”と言う別の彗星(C/1947 X1)の飛び入りがあって、それと間違われていたことが後で判明したのである。この大彗星は日本でも、夕方の西南の空に見た人がいた。
こうして、ホウキ星は悪者扱いにされることが多いが、中には幸運もある。昔、漁師の中浜万次郎が、南の孤島に漂流して孤独な生活を送っていた時、アメリカの捕鯨船「ジョン・ホーランド号」がやってきて彼を救った。それを祝福するかのように、明るいほうき星が長い尾を引いて輝いたという。また1965年の「イケヤ・セキ彗星」の出現は、世界中で星を愛する多くの人たちとの、友情をはぐくんだのである。
(写真は上が”大彗星現る"の古図。下が大彗星と地球の衝突)


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