1948年に入ると、6月上旬に本田さんは戦後二つ目の”本田彗星”を発見した。それは、明け方のペルセウス座に肉眼で発見したもので、彗星は大きく幽かな尾を引いていた。明るい彗星が出現すると、大概独立発見者がいるもので、少し遅れてイタリアのベルナスコニーという人が発見の名乗りを挙げた。即ち、Comet Honda-Bernasconi (1948 L1)  である。5月15日に、近日点を過ぎており、発見から間もなく暗くなった。そして同年の暮れ12月には”本田・ムルコス・パジュサコバ彗星”という短周期彗星を発見するのだが、本田さんが、この戦後一連の彗星を発見したのは、広島県瀬戸村(現 福山市)の自宅の近くであった。実は、ここに”黄道光観測所”という謎の施設があった。

 本田さんは、掘立小屋の彗星観測の場所を”黄道光観測所”として使っていた。黄道光は肉眼観測が主体になるので、特別に施設は要らなかった。当時は黄道光や対日照が大気圏内の現象なのか、それとも遠く太陽系の彼方での現象なのか判然としなかった。本田さんは京大の山本一清博士のすすめで、彗星探しをやりながら、同じ場所で黄道光や対日照の不思議な光芒を観測し、その謎の解明に取り組んでいたのである。そこは特別に空の暗い所であったという。

 数々の彗星を発見し、黄道光の観測所でもあったこの場所は、今どうなっているのだろう、と多いに興味をもった。島根県の絵堂晃氏が現地を訪ねてくれた。しかし、そこはこの70年の間に大きな変貌を遂げ、繁華になって、新しい道路が出来たりして昔の面影はなかった。

 舗装道路わきの、草の道を本田さんは歩いて観測所まで通っていた、という。ここという場所は広い工場の空き地の一部になっていて何もなかった。この空虚な場所から、世界を驚かす発見のニュースが発せられていたと思うと、今はただ夢のようであった、という。

(写真上、本田さんの住んでいたらしい家。中、観測小屋へ通っていた道。下、黄道光観測所のあった場所)
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